そもそも、都道府県民税と市町村税がいつから始まったのか、ググったところ、よくわかりませんでした。
*:ちなみに、明治時代の最初の頃に地租改正というがありましたが、
これは、土地の所有者を定めて、そこに課税したということですから、
今の固定資産税のような印象を受けております(市町村税です)。
明治6年に地租改正にかかる太政官布告が公表されて、翌年から役所では、これを実施する作業に入ったみたいですが、作業は明治13年までかかったようです。よって、足かけ7年かかったことになります。
実際に課税したのは、
そして、税納付を受けたのは、いつかよくわかりませんでした。
なお、地租改正は、国税だと思っていましたが(学校で習ったとき、そういう風に理解していました)、しかし、「明治8年に、国費に充てるものを国税、府県の費用に充てる租税を府県税と呼ぶこととした」という記事を見つけてしまい、自分としては混乱しております。ただ、この時の府県税は実行には移されなかったのかもしれませんが(反対が多くて?)。
なお、
明治21年になり、
国税である所得税を踏まえて、市町村が附加税を、
明治41年になり、
国税である所得税を踏まえて、府県が附加税を
課税できるようになったようです。
しかし、当時は、住民票は存在しません。
現在の日本の戸籍制度ですが、実は世界でも珍しい「人」ではなく「家」を単位とした制度です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsl1951/1956/7-8/1956_7-8_1...
最初は明治政府によって中央集権を進めるため徴税と徴兵のために整備されたようです。
当時は幕藩体制から中央集権への移行期でした。
当時の人口構成は大部分が農地に縛られた農民でした。
地方の政権から徴税権や徴兵権を奪うために、個々の人よりも扱いやすい、土地に根付く家を住居として基本的な単位としたようです。
幕藩体制の頃は主に「検地」の結果によって「土地」への課税ですね。
人は土地に縛られていますから、年貢を納めさせるための人別帳とかです。
いやいや明治期に人を大事にしなかったというストーリーはGHQ(+NHQ)史観に依りすぎです。あくまで人が食べていくための手段プロセスとしている方法の違いです。100年前は人権意識が浅かったなどというストーリーは欧米でこそ適用される噺に過ぎません。
壁だな。